「ピアノの詩人」ショパンについて徹底解説!代表曲、生涯、人物像など

作曲者紹介

「ピアノで好きな作曲家は誰ですか?」

この質問でランキングを作ったらおそらくこの人が1位になるでしょう・・・「ピアノの詩人」ポーランド出身の天才作曲家フレデリック・ショパンです!

39年という短い生涯の中で、200以上もの素晴らしい曲を作り上げ、死後170年以上経った今も尚、多くのピアニストの目標となっている偉大な人物。

私自身、ショパンのファンであり、ショパンの曲を少しでも弾けるようになるよう日々練習に励んでいる訳ですが、ショパンの人物像や生涯に関してはほとんど知識がありません。

「作曲家の人生を知らずして、その曲が美しく弾けるわけがない!!」

と思い、自分の勉強のためにもショパンに関して色々調べてまとめてみました。

皆様のショパンに対する理解を深めるお役にも立てたなら幸いです。

ショパンの楽曲

「革命のエチュード」「幻想即興曲」「子犬のワルツ・・・誰もが一度は耳にしたことがある超有名曲ですが、全てショパン作曲のものです。

そしてこれらは、名前に付いていますが、「エチュード」「即興曲」「ワルツ」という作品カテゴリーの中の1曲となります。

ショパンは様々なカテゴリーの曲を作っており、カテゴリー毎に、作品番号(Op.)、曲数、そして代表曲を下記表にまとめました。
カテゴリー 作品番号 Op. ※1 曲数 代表曲
エチュード 10, 25 27曲 「革命」「別れ」「エオリアンハープ」
ワルツ 18, 34, 42, 64, 69, 70 19曲 子犬のワルツ」「華麗なる大円舞曲」
ノクターン 9, 15, 27, 32, 37, 48, 55, 62, 72 21曲 「Op.9-2」「遺作」
ポロネーズ 26, 40, 44, 53, 61, 71 16曲 「英雄ポロネーズ」「軍隊ポロネーズ」
即興曲 29, 36, 51, 66 4曲 「幻想即興曲」
バラード 23, 38, 47, 52 4曲 「バラード第1番」「バラード第4番」
スケルツォ 20, 31, 39, 54 4曲 「スケルツォ第2番」
マズルカ 6, 7, 17, 24, 30, 33, 41, 50, 56, 59, 63, 67, 68 58曲 「Op.7-1」
プレリュード 28 26曲 「雨だれ」「Op.28-7(太田胃散の曲)
ロンド 1, 5, 14, 16, 73 6曲 「Op.16」
ピアノソナタ 4, 35, 58 3曲 「葬送行進曲(ピアノソナタ第2番3楽章)」
ピアノ協奏曲 11, 21 2曲 「ピアノ協奏曲第1番」

※1. Op…作品番号、「opus number(オーパスナンバー)」の略

なんと表にまとめたカテゴリー数だけでも12もあり、曲数を数えると190曲!!

エチュード、ワルツやノクターンは聴いたことあったけどスケルツォやマズルカは知らなかった!と言う方も結構いると思います。

(↓マズルカ:ポーランドのマズーリ地方発祥の踊りであるマズールを元に作曲)

また、表にまとめた曲以外にも名曲「舟歌(Op.60)」や歌曲も作曲しており、全部で277曲※2作曲しているようです。是非とも一生のうちに、全曲聴きたいですね♪

※2.「ショパン データベース」様サイトより

2010年にはショパン生誕200周年を記念して、ショパン国際コンクールなどで受賞歴のある実力者ピアニスト15名による「ショパンピアノ全集」という209曲を収録した、まさにショパンCDの決定版も出ていますので、気になる人は是非聴いてみて下さい!

ショパンの生涯

フレデリック・ショパンは1810年3月1日フランス人の父:ミコワイ・ショパンとポーランド人の母:ユスティナ・クシジャノフスカの間にショパン家長男として誕生しました。

ショパン家の家族構成は、姉のルドヴィカ・イェンジェイェヴィチ、妹の次女イザベラ・バルチィンスキと三女のエミリア・ショパンの四人兄弟。

1849年10月17日に39歳と言う若さで亡くなりましたが、その39年間の生涯を簡単に年表としてまとめました。

また、ショパンは21歳までをポーランド(主にワルシャワ)で、21歳からパリで過ごしているのですが、12回も引っ越しており、その住居についてもまとめてみました!

ショパン39年間の人生年表

西暦 年齢 できごと
1810 0 フランス人の父:ミコワイ・ショパンとポーランド人の母:ユスティナ・クシジャノフスカの間にショパン家長男として誕生
1814 4 ピアノを始める
1817 7 処女作品「ポロネーズ第11番ト短調」を作曲
1826 16 ワルシャワ音楽院に入学
1827 17 妹エミリア(三女)が14歳の若さで結核により死亡
1829 19 ワルシャワ音楽院を首席で卒業
初恋の相手、コンスタンツヤ・グワトコフスカも同大学の声楽首席
1831 21 ロシアの属国状態から抜け出すためのワルシャワ蜂起が失敗し、ロシアの弾圧から逃れるためパリに亡命
革命のエチュードが書かれたのもこの年
1832 22 パリでリサイタルを開き、リストやメンデルスゾーンと親交を深める
1835 25 ポーランド人貴族のマリア・ヴォジンスキに恋に落ちる
1836 26 マリア・ヴォジンスキにプロポーズ。後の恋人ジョルジュサンドともこの年に出会う
1837 27 体調を崩しがちなのに、夜遊びをやめないショパンに見かねて、マリアの両親からの反対があり、婚約破棄
1838 28 ジョルジュ・サンドとの交際スタート。結核療養のためマジョルカ島に滞在
1844 34 父ミコワイ死去。
1847 37 サンドの連れ子、息子モーリスと娘ソランジュとの対立などにより、サンドと別れる
1848 38 最後の公演:ポーランド難民のための演奏会
1849 39 10/17、死去

ショパンの住居

ショパンは39年の生涯で何と12回も引っ越しをしています!

ジェラゾヴァ・ヴォラというポーランドの首都ワルシャワから西に54キロほど離れた村で生まれ、すぐにワルシャワに引っ越します。

21歳までをワルシャワで過ごし、ワルシャワ内で2回お引っ越し。

21歳~亡くなる39歳までをフランスのパリで過ごしますが、そこでは8回も引っ越しています。

ショパンが過ごした全13箇所について、期間と場所を下記表にまとめました。※4
No. 期間 年齢 住居詳細
1 1810 誕生~6カ月 ポーランド ジェラゾヴァ・ヴォラ
2 1810~1817 6カ月~7歳 サスキ宮殿周辺
3 1817~1827 7~17歳 カジミエシュ宮殿周辺
4 1827~1831 17~21歳 チャプスキ・クラシンスキ宮殿周辺
5 1831~1832 21~22歳 フランス
(パリ)
ポワッソニエール27番地
6 1832~1833 22~23歳 シテ・ヴェルジェール4番地
7 1833~1836 23~26歳 ショセダンタン通り5番地
8 1836~1839 26~29歳 ショセダンタン通り38番地
9 1839~1841 29~31歳 トロンシェ通り5番地
10 1841~1842 31~32歳 ピガール通り16番地
11 1842~1849 32~39歳 スクワール・ドルレアン 9 番地
12 1849 5~9月 39歳 シャイヨ通り74番地
13 1849 9~10月 39歳 ヴァンドーム広場 12 番地

※4.参考サイト様:ポーランド編…「ヤッポランド/ポーランド情報センター」様、フランス編…「ピティナ・調査研究 パリ発~ショパンを廻る音楽散歩2019」様

地名だけ並べてもいまいちイメージできないので、それぞれグーグルマップで場所を調べてみたところ、引っ越す必要ある!?ってくらい近い場所を転々としていることが分かりました笑

ジェラゾヴァ・ヴォラ村からワルシャワへの引っ越し(No.1~2)

片道54km弱の車で約1時間。ショパンの父がワルシャワ高等学校で仕事をすることになったためワルシャワへ引っ越し。

ワルシャワ市内の引っ越し(No.2~4)

3か所とも直線距離500m程度でめちゃくちゃ近所笑

1830年11月に、ロシアの属国状態から抜け出そうとした独立運動であるワルシャワ蜂起が失敗し、ロシアからの弾圧から逃れるために多くのポーランド人がパリに亡命。ショパンもその一人となり、パリに移住した。

パリ市内の引っ越し(No.5~13)

パリ市内の引っ越しも、No.10「ピガール通り16番地」以外はとても近所にあります笑

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